こんにちは!株式会社LINKの安西です(^ ^)
今日も暑いですね〜
暑いですね〜じゃないですよ!!
何ですか、今日の内容は!!!
お札が変わったから、渋沢栄一氏について書こうと思いまして
なので、とりあえず最後までお付き合いください☆
そもそも、渋沢栄一って?
渋沢栄一とは、日本の実業家で『日本資本主義社会の父』と呼ばれ
今の日本の資本主義社会を築いた人物の一人です
明治維新後に日本経済の発展に大きく貢献して、金融機関の設立にたくさん関わったそうです
渋沢栄一の産まれ
渋沢栄一氏は、今の埼玉県深谷市の農家の次男として生まれました
小さなころから勉強に励み、その中でも朱子学に興味を持っていました
1861年に家業を手伝いながら藍玉の製造と販売に携わり
この経験が後に、渋沢栄一氏の商才を養う基盤になったそうなのです
ちなみに、朱子学をみなさんはご存知でしょうか?
安西は知りませんでしたので、先生に聞いてみましたので
同じく知らない方はこちらをご覧くださいませ
明治維新とパリ万国博覧会
1867年に渋沢栄一氏は、一橋慶喜の家臣として支え、徳川幕府で働きました
その後、幕府が倒れると新政府に協力することを決め、
1867年にパリ万国博覧会に参加する使節団として渡仏しました
この経験が渋沢栄一氏にとって、西洋の先進的な経済や産業システムを学ぶ機会になったということです
パリからの帰国後
渋沢栄一氏は1873年に日本に帰国し
その後、新政府の大蔵省に入って紙幣制度の改革や国立銀行条例の制定に尽力
渋沢栄一氏の提案によって日本初の近代的な銀行である
『第一国立銀行』が設立されました
この銀行は後のみなさんお馴染み『みずほ銀行』の最初の姿なのです
当たり前に利用している銀行の歴史を知るというのは面白いですね
実業家としての活躍
渋沢栄一氏は、大蔵省を退官した後に実業界に転身しました
そして、多くの企業の設立に関わり、渋沢栄一氏が設立・支援した企業は
約500社に及びました
その中でも今も続いている大企業が
『東京ガス』『帝国ホテル』『東洋紡』『王子製紙』『キリンビール』などです
渋沢栄一氏の企業哲学は『論語と算盤』と称され、利益を追いながらも
倫理を重んじる姿勢が特徴的だったそうです
社会貢献
渋沢栄一氏は、教育や福祉活動にも積極的で
たくさんの学校や慈善団体を設立して、教育の普及と社会福祉の向上に努めたのです
さらに渋沢栄一氏は、東京商工会議所の初代会頭を務め、商工業の発展にも貢献しました
こういった活躍により、1931年に91歳で逝去素た後も偉人として称えられ
今年2024年7月から1万円札の肖像画として採用されています
女性問題もあるらしい
渋沢栄一氏の、これまで素晴らしい活躍をお話ししてきましたが
一方でSNSで賛否両論ある女性問題もあったようですね
たくさんの女性と関係を持ったという話しが伝えられていて
かなりモテたそうなのです
女性関係の話しが出てくると、女性からは厳しいお言葉も飛んできますね_φ( ̄ー ̄ )
偉人ゆえ、いいところも隠したいところも世間に広まってしまう運命ですよね
最後にこの話もってくる?普通・・・
いやいやいや!否定的な話ではないですよ
こういうエネルギッシュで、偉大なことを成し遂げる人は
男性ホルモンが強いから女性からモテる傾向にあって
色んな女性と関係を持ちやすいんだそうですよ(ざっくり言うと
何ぺディアだよ、それ
社長が言ってた
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